侮辱罪の法定刑引上げについて
2022/09/281 改正の内容
(1) 概 要
令和4(2022)年6月、「刑法等の一部を改正する法律」が成立し、このうち侮辱罪の法定刑引上げに関する規定は、同年7月7日から施行されました。
今回の改正により、侮辱罪の法定刑が「拘留又は科料」から「1年以下の懲役もしくは禁錮若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」に引き上げられました。
施行日以降に行われた行為については、改正法が適用されることとなります。
なお、懲役刑・禁錮刑については、令和7(2025)年以降、「拘禁刑」に単一化されることとなっています(弁護士だより「拘禁刑の創設(懲役刑・禁錮刑の廃止)」参照)。
(2) 侮辱罪と名誉毀損罪
侮辱罪とは、具体的な事実を指摘せずに、「公然と人を侮辱」した行為を要件とする犯罪です(刑法231条)。
具体的な事実を指摘せずに、「公然と」すなわち不特定の人・多数の人に伝わる形で、他人を軽蔑する表示をした場合、侮辱罪の要件に当たることになります。
例えば、実際にあった事例として、(1)人が行き交う路上で女性に対し、大声で「くそばばあが。死ね。」などと言ったり、(2)インターネット上の掲示板に「○○(被害者名) 顔も、便器みたいな顔、ブスでぺしゃんこ」「○○ぶす女」「しゃべる便器みたいな顔してるやつがいる」などと掲載したりする行為は、侮辱罪に当たります。
なお、侮辱罪と関連する犯罪として、名誉毀損罪(刑法230条1項)があります。
不特定の人・多数の人に伝わる形で、具体的な「事実」(真実か否かは問わない)を指摘して、「人の名誉」を傷つける行為をした場合、名誉毀損罪に問われることになります(法定刑は「3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金」)。
例えば、(1)大勢の前で「お前の祖父は詐欺をして懲役になったことがある」などと発言したり、(2)自己が開設したホームページに「貴方が■■(被害者名)の店で食事をすると,飲食代の4~5%が暴力団●●組の収入になります。」などと記載したりする行為は、名誉毀損罪に当たります。
(3) 法定刑の引上げ
これまで、侮辱罪の法定刑は、「拘留又は科料」とされてきました(刑法231条)。
「拘留」とは、1日以上30日未満の期間、刑事施設に拘置する刑をいい(刑法16条)、「科料」とは、1000円以上1万円未満の金銭を支払う刑をいいます(刑法17条)。
従来の侮辱罪の法定刑は、刑法の罪の中で最も軽いものでした。
今回の法改正では、これらに「1年以下の懲役・禁錮、30万円以下の罰金」が追加され、これによって法定刑が引き上げられたことになります。
2 厳罰化の経緯
侮辱罪の法定刑が引き上げられた背景には、①近時、インターネット等における誹謗中傷行為が社会問題化していること、②名誉毀損罪の法定刑との均衡、があります。
令和2(2020)年、テレビ番組に出演していたプロレスラーの女性が、SNS上で激しい誹謗・中傷を受け、22歳の若さで自ら命を絶つという事件が発生しました。
現在、多くの人が、スマートフォンやパソコンを用いて、Twitter、Instagram等のSNSやネット上の掲示板などに自己の意見を投稿するようになり、これらの投稿において上記のような誹謗中傷が行われるケースが少なくありません(①)。
他方、侮辱罪と名誉毀損罪は、いずれも人の社会的名誉の保護を目的とするところ、上記1(2)のように具体的な事実の摘示を伴うか否かが異なり、人の名誉を傷つける程度も異なると考えられるため、法定刑に差が設けられています。
しかし、①のようなネット上の侮辱行為の実情からすると、事実の摘示の有無のみによって法定刑に大きな差を設けることは、必ずしも相当でないと考えられます(②)。
こうした経緯を踏まえ、侮辱罪を抑止するとともに悪質な侮辱行為に厳正に対処するため、名誉毀損罪に準じた法定刑に引き上げることとされたものです。
3 改正に伴う影響
法定刑引上げにより、次のような影響が考えられます。
(1) 捜査の可能性が高まる
今回、法定刑の引上げに伴い、侮辱罪の公訴時効期間(※)がこれまでの1年から3年になりました。
これまでは、発信者情報開示の手続などの途中で時間切れとなり、起訴できなくなるケースもありました。厳罰化後は、捜査に十分な期間が確保されることが予想され、その結果、立件に至るケースが増えると見込まれています。
※公訴時効:犯罪行為が終わった時点から起算して一定期間が経過すると、その後の起訴が許されなくなる制度。
(2) 逮捕・勾留されるケースが発生する
これまでは、法定刑が拘留・科料のみだったため、住所不定などといった場合を除いては逮捕できないとの制限(刑訴法199条1項但書、同法217条)により、侮辱罪で逮捕・勾留されるケースはほとんどありませんでした。
今回、法定刑に「懲役・禁錮」が加わったことで、このような制限がなくなり、逃亡や証拠隠滅のおそれなどを理由に逮捕される可能性が出てきました。いったん逮捕されると、起訴されるかどうかが決まるまで、長ければ3週間ほど身体を拘束されることがあります。その後起訴されると、さらに長期間の身体拘束がされることも考えられます。
(3) 略式手続での罰金刑の事案が増加し、公判請求に至るケースも出てくる
厳罰化の前は、侮辱罪に問われる事件はそのほとんどが不起訴となり、起訴されるケースは極めて稀でした。
厳罰化後は、略式手続(刑訴法461条~、公判を開かず書面審理で行う刑事裁判手続)により30万円以下の罰金刑を受ける事案の増加が見込まれるとともに、悪質なケースや検察官によって懲役・禁錮が相当だと判断された場合には、略式手続ではなく公判手続が請求されることも考えられます。
公判は公開の法廷で審理されるため、誰でも傍聴できますし、報道機関によって実名が報道される可能性もあります。
(4) 教唆犯・幇助犯も処罰される
これまでは、侮辱罪の教唆犯・幇助犯(※)については処罰することができませんでした(刑法64条)。
厳罰化に伴い、この制限がなくなり、これらについても処罰されることとなります。
したがって、例えば、友達にSNSで他人を誹謗中傷する投稿を勧めて実際に投稿させたり(教唆)、他人がSNSで誹謗中傷することを知りながらその人にスマホを提供したり(幇助)する行為が、処罰の対象となる可能性があります。
※教唆犯と幇助犯
教唆犯:他人をそそのかして犯罪実行を決意させ、その決意に基づき犯罪を実行させること
幇助犯:実行行為以外の方法で、行為者の犯罪実行行為を容易にさせること
(5) 影響を受けないこと:侮辱罪として処罰される行為の範囲に変更はない
厳罰化はされるものの、侮辱罪となる行為の範囲には変更がありません。
したがって、これまで侮辱罪で処罰できなかった行為について、厳罰化によって処罰されるようになった、というものではありません。
4 表現の自由との関係
今回の改正は、SNS等における誹謗中傷への対応という側面の一方、憲法で保障された「表現の自由」が脅かされるおそれをも孕んでいます。
上記のとおり、処罰行為の範囲は変わらないものの、厳罰化により侮辱罪が注目されることで、これまで軽微なものとして捜査機関が特に動くこともなかった事案にも捜査が及ぶことになれば、国民に「これも侮辱罪で処罰されるのでは」という不安を抱かせ、悪質な投稿のみならず正当な論評等をも抑え込む結果となり得ます。
表現行為の萎縮効果により、国民が政治的意見など公共の利害に関する主張を躊躇することになれば、民主主義の根幹が害される結果ともなりかねません。
今回の厳罰化が、捜査機関による不当な身柄拘束・処罰、表現の自由の抑圧に利用されないよう、監視の目を光らせていく必要があります。
令和4年9月28日
文責 弁護士 田村 和希